【オープン間近に起こった出来事】
店舗のオープンまで残すところ1ヶ月となったタイミングで、わたしは盛岡市へと居を移しました。引越し作業を終え、1日の疲れを癒やしていた夜中の2時、祖母が急逝したという知らせが届きます。9歳で鎌倉から引っ越して来て以来、高校を卒業するまで食事や生活のあらゆる面倒を見てくれていた祖母でした。
報せを受けるやいなや、2時間かけて病院へと急行しました。母と共に遺体を引き取って葬儀場へ移動し、その数時間後には再び開店準備のために盛岡市へと戻りました。オープンに向けた業務が山積みであり、一刻も立ち止まる余裕がなかったのです。
通夜から葬儀に至るまで、店舗の仕事を終えると葬儀場へと移動を繰り返す多忙を極める中、親戚からは「ずっとおばあちゃんのそばに居ないで、こんな状況でまで仕事をとるのか」と厳しい責め苦の言葉を浴びせられました。それでも、前に進み始めたこの流れを止めるわけにはいきませんでした。
母や祖父をはじめ、親戚の大部分は私の選択に反対や難色を示すばかりで、独立や新規開店を祝福してくれる身内など皆無という厳しい現実がありました。そうした孤立無援の状況下で、ただ一人「周りの声など意に介さず突き進め」と励まし続けてくれた親戚の存在は、私の大きな支えでした。しかし、その恩人は2011年3月の大震災により、帰らぬ人となってしまったのです。生前に十分な感謝を伝えられないまま永遠の別れとなってしまったことが、今なお心の奥底で深い悔恨として残っています。
【苦難からのスタート】
2008年4月、予定通り無事に店舗を開業できました。しかし、最初の2年間は患者さんがほとんど訪れず、毎月大幅な赤字が続く厳しい船出となります。業務の大半が資金繰りの手配という状況が続きました。
薬局事業は法的・制度的な制限が多く、一般的な店舗のようにバーゲンセールなどで集客を図ることはできません。そうした制約の中で自店を選んでもらうため、スタッフ一丸となって創意工夫を重ねました。店名入りのエコバッグ(薬袋用)をご近所の世帯へ配布したり、一般用医薬品の注文・配達サービスに取り組んだりと、地域住民の皆様に選ばれる店舗づくりに尽力したのです。そのかいあって徐々に病院の患者数も増え、当薬局の利用も広がって経営は軌道に乗っていきました。
事業面では拡大を重ね、2012年には別法人を設立して市内に1店舗を新規出店。続く2013年には別の自治体へもさらに1店舗を開設し、着実に店舗網を広げていきました。当時は薬局3店舗に加えてダイエット事業も展開しており、全体の年商は1億8,000万円ほどに達していました。しかし、当時を振り返ると大きな反省点もあります。店舗運営はわたしと当時の妻の二人で担っていましたが、目の前の業務に手一杯で、組織づくりの視点が大きく欠落していました。人材を活用した組織管理体制や、長期的な計画性が不十分だったのです。もし今のわたしが当時の自分へ助言できるならば、「組織の強固な基盤構築と資産運用を並行して進め、着実かつ持続的に成長できるシステムを確立すべきだ」と強く伝えるでしょう。
そうすべきだったと思う出来事が、この後わたしを襲うからです。






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