不思議な夢(古い自我の死)を経て、「これからは自分の人生を生きなさい」というメッセージを受け取った私。しかし、現実世界に戻った私を待っていたのは、これからの人生を決定づける“究極の二者択一”でした。
安定した収入源である「薬局事業」を残すか。それとも、立ち上げたばかりの「サロン事業」を残すか。
今回は、周囲の常識や「もったいない」という声を押し切り、私がこれまでのキャリアや安定を捨てる「引き算の決断」を下したときのお話です。役割としての自分(I’m)を手放し、純粋な自分(I)として生きる覚悟を決めたこのエピソードが、今、人生の選択に迷っている方の背中を押すきっかけになれば幸いです。
第2幕:I’mから「I」へ —— わたしの生き方を決める
迫られる選択
ここまでお読みくださり、いよいよ長い苦境を脱して明るい展開になると期待されていた皆様には大変申し訳ありません。実は、これから身の回りの物や事業を削ぎ落としていく過程においても、まだまだ様々な波乱が待ち受けています。
当時、自分自身の将来的な方向性を決めるにあたって、大きく分けて2つの選択肢が存在していました。
ひとつ目は、薬局事業をメインとして存続させ、サロン事業を閉鎖するという道です。ふたつ目は、サロン事業を継続し、薬局事業を他社へ事業譲渡するという道でした。
まず薬局事業を存続させる道について考えてみると、利益率は低いものの安定した事業収入を確保できるという大きな利点がありました。サロン業は立ち上げたばかりなので痛手が少ない事が考えられました。借入金の返済は残りますが、将来的な見通しが不透明なので早めの損切りとなります。
しかしその一方で、年々高騰する原価率によって小規模な運営での支払いが厳しさを増していただけでなく、自分たちの工夫や裁量で事業を拡大できる範囲が極めて限定的であるという決定的な課題を抱えていました。調剤報酬や薬価の改定など国の方針によって毎年の収入基準が左右される上、加速する在宅医療へのシフトに応えるには潤沢な人員と体制が不可欠です。働き方改革への対応や自社のリソースを冷徹に見極めたとき、当時の態勢のまま要請に応え続けていくのは極めて困難だと判断せざるを得ませんでした。
一方、サロン事業を継続し薬局事業を譲渡する道を選べば、M&Aで譲受けしている会社は数店舗持っている所が多いので、従業員の安定した労働環境と福利厚生が得られる点と、利益の出ている薬局事業を売却して資金を得られる上、それを元に立ち上げたばかりのサロン事業で自分たちの力を試しながら多様な展開を目指せるという魅力がありました。しかしその反面、確実な収入源となっていたバックボーンを失うため、もしサロン事業が暗礁に乗り上げれば一気に破綻へ追い込まれるという大きなリスクも背負うことになります。
わたしが出した答え
わたしが選んだ道は、二つ目の「サロン事業を手元に残し、薬局事業を売却する」という決断でした。「安定した事業を捨てるなんて勿体ない」「黒字の薬局を売って、なぜ赤字のサロンを残すのか」と、周囲からは反対や疑問の声が相次ぎました。けれど、わたしの心には少しの迷いもありませんでした。
薬局事業の傍らで、わたし自身は薬膳や整体の研究・探求に数年間没頭していました。医療業界の最前線に身を置きながらも、「この医療は本当に人々の幸せや健康に寄与しているのだろうか?」という根本的な疑念が拭えず、それが東洋医学へのさらなる傾倒へと繋がっていったのです。
当時のわたしは、薬物療法だけが人間の身体にとって唯一の有益な選択肢なのだろうか、あるいは医師の指示のまま漠然と医薬品を服用し続けることはかえって身体への毒になり得ないのかといった疑問を強く抱いていました。さらに、毎月のように大量廃棄される医薬品の惨状を目の当たりにする中で、日本の医療システムや医療従事者に対する不信感も募っていったのです。
西洋医療の利用は必要最小限に抑え、人間が本来持っている自己免疫力や自然治癒力を高めるアプローチこそ、多くの人々が知るべき本質的な道である——わたしの中でその信念は、日々いっそう強固なものとなっていきました。
その信念のもと、サロン事業の形態も変えていく必要があることが見えてきたのです。
続く→






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